当時、仕事が出来ないときにいろいろ問題はあったのですが
一番これが悪かったなぁと思うのは、”モチベーションに頼っていた”ことです。
「インスピレーションが湧いてこないのじゃ」という芸術家のように、なにかが舞い降りてくるのをひたすら待っていたような気がします。
先延ばしにする一番の原因でもありました。
今日は、やる気がある。
今日は、少しやる気がない。
やる気が出ないと仕事に対するモチベーションが続かないので、名言を見たり、やる気が出そうな本を読んでテンションを上げるようにしていました。
やる気なんて幻想に過ぎない
知り合いの人が良く言う口癖に、
『やる気やモチベーションは幻想に過ぎない』という言葉があります。
「やる気がないから頑張れない。仕事に取りかかれない」
「やる気が出たら、この企画も出来る」
そんな魔法に頼っていても仕事は出来ません。
実際、僕の仕事の取り組みにはすごくムラが多かったのです。
やる、やらないの振り幅がすごく大きく、やる日は、すごいやるけど、しない日は全く手もつけない。
そんな毎日でした。
自分を追い込むために先送り
やる気に頼っていたときは、よく徹夜をしていました。
睡眠時間も少なかった。
”徹夜でがんばって仕上げる”ことがカッコイイという気持ちもありました。
自分でギリギリの状況を作り、締め切り間際になって一気呵成に仕上げることにも快感を覚えていました。
「モチベーションが高いときにやればいい。徹夜すればいいや」
そんな気持ちで、先送りにすることも多くありました。
しかし、睡眠時間が少ないと集中力も下がり、結果的に仕事のクオリティも低くなります。
”無理をせず、一定のペースで仕事をする”
そんな考えなど、全く頭に浮かびませんでした。
やる気があるのが前提
当時は、”やる気がある状態”を普通と思っていました。
やる気がないときに先送りするのは、そういう前提があったから。
”未来の自分はきっとやる気があるはず”
なんの確信もないくせに、そう信じて先送りを繰り返していました。
今は、”やる気がない”ことを前提に考えています。
やる気がない自分が出来るようにするためにチェックリストを作ったり、タスクを分解したり、準備をするのです。
まとめ
そんな反省があるため、最近は”モチベーションややる気”といったことに全く頼らないようにしています。
気分的がのらないときは、テンションをあげるために違うことをするのではなく、資料整理をしたり、メールで連絡を取ったりなど、簡単な作業をします。
モチベーションに頼るのは、なによりも再現性が低いのが問題です。
あのときはうまくいったけど、今回はイマイチだな。。。。
みたいなことになりかねません。
学生のときは、そんなノリで良かったのですが、仕事をするようになるとそんなことで人に迷惑をかけることでは到底やっていけませんでした。
しかし、その頃の僕はまだまだ学生気分が抜けきらず、そんな気分屋な感じで日々仕事をやっていました。
【編集後記】
当時の反動からか、”やる気”というのを毛嫌いしている自分がいます。
今は、どれだけ淡々とビジネスライクに仕事をするかというのをテーマにやっています。